ー受難節第4主日ー
詩編119:105~112
副牧師 上田充香子
◇御言葉はどんな時にも人生を指し示す指針である。2021 年度の教会標語である「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」という詩編 119:105 は、コロナと共に歩んだこの 1 年間に必要な御言葉であった。コロナによって教会に、また教会員それぞれに沢山の危機があった。しかし、どのような人生の旅路(道)にも、天の国へ向かうその道には御言葉による指し示しがある。逆に言うならば、御言葉に聴き従うこと以外に私たちが生き抜く術はないのである。
◇だからこそ、「わたしは誓ったことを果します。あなたの正しい裁きを守ります。」(106 節)で歌われているように、神さまの教えに聴き従うこと、また聴くだけでなく、御言葉を行うことを追い求めるのが大切である。自分や人間を頼りとしてしまう弱さがあるからこそ、主に依り頼むことをおぼえなければならない。
◇コリントの信徒への手紙II4:7 以下に記されているように、人間は脆く危うい存在である。しかし、その器を主イエス・キリストがお用いくださることによって、御言葉を継承するものとして、私たち自身をも宝とされる。御言葉にこそ人を生かす力がある。この御言葉に生かされている限り、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(IIコリント 4:8~9)。主イエスによる新しい命が私たちの内に既に現れているからである。
◇だからこそ、教会に集う私たちは共に「あなたの掟を行うことに心を傾け/わたしはとこしえに従って行きます。」(詩編 119:112)の御言葉を告白したい。神様への約束であり、応答であり、決意表明である。掟とは御言葉とも言い換えることが出来る。御言葉を行うことに心を傾け、とこしえに神様に、御言葉に聴き、昼も夜も御言葉を口ずさみ、生活へとなじませ、生かしたい。なぜなら、御言葉は確かな励ましと確かな生き方を教えてくれるからである。御言葉こそが私たちの歩みを照らす指針となる光である。主が指し示してくださる道に、とこしえに従っていくことが出来ますように。