2022/05/29 「今を誠実に生きる」使徒言行録1:6~11,フィリピの信徒への手紙4:4~9協力牧師 中野 実

使徒言行録1:6~11
フィリピの信徒への手紙4:4~9
協力牧師 中野 実

◇イエスは復活の命にあずかる道を私たちのために切り開き、整えてくださったが、神の国は完成していると言えない。神の国はイエスの再臨の時に完成される。

◇神は、すべての被造物をその御心にふさわしいものに創り変えようと願っておられるが、あっという間にすべてを神の国に変えてしまうような方法を望まれない。神は私たち人間を愛しておられるが故に、すべての人が自由と決断をもって神に立ち帰り、福音の恵みによって存在の根底まで新しく造り変えられることを願っておられる。復活と再臨との間で、神は教会に、福音宣教の使命が与えられる。そこにつながるキリスト者一人一人に、神の御前において真実に、誠実に、イエス様が備えてくださった道をひたすらに走り続けることを求めている。

◇ボンヘッファーによれば、キリストにおいて、成し遂げられている救いは、究極的なものである。すでに知らされている。しかし、それによって歩むものとされた教会、そしてそこにつながる私たちは、実際にはいまだに「究極以前の」段階を歩んでいる、と彼はそういう。

◇同じことをパウロも語っている。「なお、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて尊いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判のよいことを、また徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」(フィリピ4:8)。ここにリストアップされている徳目は、ギリシャの哲学者たちが重んじた倫理的価値概念であるが、キリスト教に特別なものではない。しかし、そのような価値にも誠実に心を向ける必要がある。なぜなら、私たちはイエス・キリストにおいて成し遂げられている究極的な救いを知っているからである。だから、今与えられている持ち場において、究極以前の歩みを着実に、救いへと向かって一歩一歩誠実に進めていきなさいと、パウロは私たちに勧める。 (要約:李 暁静)