コリントの信徒への手紙一3:10~17
牧師 古屋 治雄
◇ペンテコステの日に、イエス・キリストと父なる神様はその救いを信じる群れに聖霊を注いでくださった。聖霊は今も私たちの教会に、地上のすべての教会に注ぎ続けられている。
◇パウロは3章で、教会の中に生かされる私たちの働きを植物の世話することに譬えて、成長させるのは神であることを語る。さらに、この教会の群れは収穫を生み出し、実りを生む神の畑とされていると語る。そして教会の群れが植物のことから一転して神の建物とされていることへと移っている(9節)。
◇パウロは自分の働きを「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました」(10節)と語っている。パウロはここで自分の業績をアッピールしているのではない。土台を据えたとは、「イエス・キリストという土台」(11節)を据えたことを指している。そして、つづく指導者たちがその土台の上にそれぞれの働きを建物として築き上げていくことになる。
◇13節に「おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです」。ここに「かの日に」という言葉がある。この地上世界がその日に報いを受けるか、損害を受けるか、最終的に神の前に明らかにされると、パウロは厳粛に受け止めている。私たちも教会での自分の働きや他の人の働きを自分の思いで早急に判断するのではなく、神様に委ねる姿勢が求められている。
◇イエス・キリストを土台として生きている者の群れには絶えず神の霊的な働きが及んでいる。パウロは教会の建物の譬えで「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいる」という。イエス・キリストを土台とする私たちの霊は、もはや自分の欲望や願いを達成するために行動することができなくなり、そうする必要もなくなる。神の恵みによって土台を据えられ神の神殿とされた私たちは、神をほめたたえ、神に仕えることを喜ぶ。神の栄光を現す神の神殿とされているのである。