2022/09/04「今いるところに留まって生きる」コリントの信徒への手紙一7:17~24  牧師 古屋 治雄

コリントの信徒への手紙一7:17~24
牧師 古屋 治雄

◇コリントの信徒への手紙一を読み進めて いるが、振り返ってみるとパウロの語り口の 変化に気づかされる。6 章までで不品行、み だらな行いについて、パウロははっきりと、 教会的な判断を下している。ところが 7 章の 結婚生活、家庭生活の問題については、 「~しなさい、と命じるつもりはありません (7:6)」、「主ではなくわたしが言うのですが (12 節)」、「わたしは主の指示を受けてはいま せんが(25 節)」とパウロの口調は控えめにな る。結婚に関してパウロは、細部まで指示し てはいない。

◇今日の箇所に来るとパウロは再び、はっき りと命令形で語るようになる。しかし全く別 のことを語りはじめるのではない。「分け与 えられた分に応じ(17 節)」が示すように、 パウロは、一人ひとりの結婚生活、家庭生活 における様々な状態、つまり一人ひとりの生 活の枠組みについて語り始める。パウロは 「身分」についてではなく、それぞれの「状 態」について語ろうとしているのである。

◇コリントの教会には、「福音に生きる新し い生活を始めたのだから、割礼の痕跡を消し 去らなければならない」と考える人や、「イエ ス様はユダヤの伝統から生まれたのだから、 割礼を受け、それから洗礼に進むべきだ」と 考える人がいた。パウロの答えは「どちらも 正しくない」である。信仰生活を始めるとい うことは、自分の力で今までと違う人間にな ることではない。そうではなく、キリストに 救われて新しい人間とされるのである。

◇「自由の身になることができるとしても、 むしろその[奴隷の身分の]ままでいなさい (21 節)」を今日の価値観で捉えるのは誤りで ある。キリストの奴隷は、暴力と抑圧で苦し められるのではなく、完全にキリストの恵み のご支配の中に生きる者なのである。信仰生 活を始めるということは、生活の枠組みを自 力で変えることではない。神様が扉を開い て、今までの枠組みとの新しい関係を与えて くださることなのである。私たちは拙い者で あっても、キリストの恵みを喜び、証しする 者として新しく生きる道を歩み始めるので ある。