マタイによる福音書5:43~48
信徒伝道者 李暁静
◇山上の説教は神様に従って生きる新しい生き方についての教えである。「隣人を愛せよ、敵を愛せよ」という教えはキリスト教の代表的な教えである。私たちキリスト者も「隣人を愛せよ、敵を愛せよ」を目指して歩んでいるが、なかなかできない。イエス様はこのような私たちに、「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい」と言われる。なぜ、イエス様はできるはずのないことを私たちに言われるのか。
◇山上の説教は、神様に従ってこの新しい生き方に生きようとする者たちに対して語られている。罪の赦しを経験し、自分は罪人であることを知っている者、神様の愛を知る者、その愛と恵みを感謝し受け取った、また受け取ろうとする者たちに語られるものである。
◇十字架の恵みを受け取ったからこそ、隣人を、敵を愛することができない私たちは、人の過ちを赦すこと、隣人を、敵を愛することができるようになりたい、神様にできるようにしてくださいと切に求める。愛と赦しに生きる生き方は神様から与えられる愛の贈り物、賜物である。神様は喜んで、求める者に愛と赦しに生きることができるようにしてくださる。
◇今の私たちは隣人を、敵を完全に愛することがまだできない。私たちはまだ不完全なものであるからである。しかし、私たちは愛と赦しに生き続ける時、自分を迫害する者のために祈り続ける時、私たちは「憎しみが愛に変わっていく」ことを必ず体験する。私たちはすでに体験しているはず。私たちを愛しておられるイエス様が、聖霊によって私たちに働かれ、私たちを日々清め、キリストに似る者へ、完全な者にされていくのである。
◇「神のように完全になりなさい」、それは神様に完全に委ねなさいということである。神様により頼み、神様としっかり結ばれ、祈り続ける。愛と赦しのうちに生きることは平安である。神様のように完全な者になるように、愛と赦しに生き続けることができるように、祈る者でありたい。