コリントの信徒への手紙二5:1~5
牧師 古屋 治雄
◇この一年間で私たちは、教会員10名を天に送った。また墓前礼拝で7名の納骨を行う。「主の証人たち」も配布された。これら一人ひとりが、父なる神の恵みによってキリストとの出会いを与えられ、その決定的な出来事に生き、地上の生を終え、今、希望の時を待っているのである。
◇キリストを復活させた神が、私たちをも復活させることを、私たちは知っている、とパウロは語る(Ⅱコリ4:14)。天に召された者と、地上を歩む者を区別していない。そこに断絶はないのである。パウロの教会も信徒の死を経験したであろう。それは、主イエス・キリストが復活されたことを改めて信じる時なのである。復活は主イエスに限定されない。イエス様は生きておられ、天に昇られた。そして復活のイエス様を信じる者の群れ、教会に、復活の力を注いでおられる。死に打ち勝つ信仰の力は教会を通して明らかにされる。私たちは死ぬはずの者である。死の力にのみ込まれそうになる。しかし死で終わらない。イエス様の死を受けとめる時、瞬時に復活の生命に生かされるのである。
◇パウロは、天にある永遠の住みかを着たいと言う。願望の形で述べているが、すでに天に住まう者とされているという確信がある。信仰者はすでに、天の住まいに結ばれている。だから地上の幕屋が滅びても落胆しない。聖霊の働きがそれを確証している(5:5)。この信仰は、人間が考え出したものではない。神様が与えてくださるものなのである。私たちはすでに、イエス様の復活の力へと入れられている。だから私たちは、死の絶望に沈み込まない。この確信をもって地上の歩みを歩みぬく。そして聖なる者の群れに結ばれて、主イエスキリストの再臨と、全き支配の実現を待望するのである。
◇私たちを天に招いてくださる神様と、私たちの罪を十字架によって贖い、復活してくださったイエス様と、救い主を信ずる信仰を与えてくださる聖霊の三位一体の神に感謝しよう。