詩編98:1~6
マルコによる福音書14:3~9
神学生 原田 雅子
ー神学校日・伝道献身者奨励日礼拝ー
◇主イエスがベタニアで食事の席についておられた時、驚くことが起きた。一人の女性が手にした石膏の壺を壊して、非常に純粋で高価なナルドの香油を主イエスの頭に注いだのである。その良い香りが部屋中に広がってゆく。この当時の習慣からは非常識な行為を見て、何人かが憤慨し、より効果的に使えたのにという正論で彼女を問い詰める。
◇しかし主イエスは、彼女は時に適った今できることをしたのだと受け取られた。彼女の行いは、先んじて与えられた主イエスとの出会いの中で真理に触れ、このお方こそ自分の存在を受け止めてくださるお方ではないかと感じさせられていったことから溢れ出た、感謝の応答である。
◇これに対して、憤慨する人たちは主イエスがどなたなのかを見誤っているのではないか。そして、それは私たちの現実でもあるだろう。主の語りかけを聞く耳を持たず、自分勝手に判断をしてしまう。主は、憤慨する者たちに立ち止まりの機会を与えてくださったように、私たちをも立ち止まらせて、このお方がどなたであるかを気付くようにと招き、問うてくださっている。
◇主イエスはどなたであるのか。十字架を知らされている私たちは、はっきりと答えることができる。主イエスこそ私たちの救い主である。主イエスは、私たちの一切の罪を赦すために、身代わりとなって十字架を負ってくださり、復活され、今も生きて働いて、私たちを御もとに招き、御言葉の中に取り戻してくださる。主イエスが、私たちをも御言葉を受け取り、香油のような良い香りの広がる感謝の応答をお献げする者へと変えてくださる。
◇更に驚くことに、主は、この女性のそして私たちの感謝の応答を、ご自身の救いのご計画の中に意味づけてくださるのだ。 ◇今、私たちにできることは礼拝である。これを主が300デナリオン以上のものとして受け取り、救いのご計画の中に置いてくださる。私たちの感謝の讃美を、私たちの救い主が受け取ってくださっているのである。