2022/12/25「わたしも世界も変えられた」 ルカによる福音書1:46~55 牧師 古屋 治雄

ー降誕祭礼拝ー

ルカによる福音書1:46~55
牧師 古屋 治雄

◇クリスマスの出来事はユダヤ人の歴史の中で起こった。しかし四つの福音書はいずれもイエス様のご降誕が神様の約束の成就として、世界のすべての人のために起こったことを告げている。イエス様は、神様の歴史のすべてを担い、世に降り、すべての人の救いとなられたのである。

◇イエス様は私たち一人ひとりに与えられた贈り物であり、喜びである。この喜びを分かち合うために私たちはプレゼントを贈りあうのである。このことを忘れて、この日を単にプレゼント交換をする日にしてはならない。イエス様は、「私」のところに来てくださったのである。クリスマスが来るごとに私たちはイエス様を、新たに受け取るのである。

◇天使から受胎告知を受けたマリアは、身をもってイエス様を受け止め、神様の大きな業を高らかに歌う。マリアもヨセフも力ある者ではなく、特別な存在でもない。だが神様はそのマリアに目を留めて偉大なことをなさった。小さなマリアが世界の変革をなさる神様の働きを担い、その業を語るのである。私たちはマリアと同じ経験をするものではない。しかし神様は、形は違っても一人ひとりにクリスマスを通して奇跡を起こしてくださる。「私なんか……」と自分を捨ててはならない。神様は、あなたをお忘れにならない。あなたに目を留めておられるのだから。

◇この年、ウクライナ戦争が起こされた。戦争は心を、人としての良心を、生きる力を破壊する。権力者は人々を兵士として駆り出し、命を消耗品の如く扱う。世の力は、お互いに信じあおうとか、相手を赦そうという思いを全部摘み取ってしまう。しかしマリアは、イエス様がなしてくださる「私の変革」、「世界の変革」を確信して歌う。現代の私たちに、イエス様の御業を共に歌おうと呼びかけている。イエス様の御業を信じて語ることに遠慮はいらない。私たちは、イエス様が始められた新しい世界を既に見ている。その先取りとして、2023年の歩みに踏み出そう。