2022/12/4「来るべき方は、あなたでしょうか」ルカによる福音書7:18〜23牧師 古屋 治雄

ー待降節第2主日 礼拝ー

ルカによる福音書7:18〜23
牧師 古屋 治雄

◇クリスマスがイエス・キリストの誕生を祝う日であることは、世の人も曖昧ながら知っている。この「イエス・キリスト」という言葉がすでに、イエスは主であるという信仰告白を含んでいる。イエス様の働きが何であるのか、未だ主と出会っていない人に知ってほしいと教会は願っている。

◇洗礼者ヨハネはイエス様の道備えをする者、預言者という特別な役割を担うために神様から遣わされた。ユダヤの人々が神様の前に罪を悔い改め、主を恐れて生きるように厳しい言葉で迫る。しかしヨハネが「この生活ではだめだ」と力説しても、民の多くは悔い改めに至らなかった。ヨハネは領主ヘロデの結婚が正しくない(異母兄弟の妻を奪った)ことを指摘したために投獄される。獄中でイエス様の活動を知ったヨハネは弟子を遣わして、「来るべき方は、あなたでしょうか」と尋ねさせる。弟子たちがもたらした答にヨハネは、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネ3:30)と自分の使命が全うされたことを知り、喜びで満たされるのである。ヨハネの悲劇的な死(マタイ14章など参照)により、悔い改め運動は挫折した。

◇イエス様の伝道はヨハネの運動を受け止めて、しかし全く違う形で進められる。イエス様は、ヨハネにはできなかった奇跡の業を通して、神の恵みが人間に注がれていることを示される。私たちはその業によって変えられるのである。人間の自浄能力や知恵では真の悔い改めは期待できない。人間にある罪のゆえである。私たちは自分を誇ることができない。しかしイエス様はその私を愛する、大切にすると言ってくださるのである。それは「悔い改めた者を救う」ということではない。神様の愛が、私の悔い改めに先行して、私を恵みに生きる者に変えてくださるのである。私たちは、イエス様による恵みの支配の始まりに置かれている。私たちの教会もその働きを担い、イエス様と共に新しい歩みを進めよう。