2023/01/29「救われているとは」フィリピの信徒への手紙3:10 ~21 協力牧師 中野 実

フィリピの信徒への手紙3:10~21

協力牧師 中野 実

◇私たちは皆救いを必要としている存在である、とキリスト教は見ている。聖書の語る救いとは、神様の御心に従って、御子イエス・キリストの十字架と復活において成し遂げられた救いであり、聖霊の働きによって、教会の歩みを通して救いは現実のものとなり、終末における完成へと向かって進んでいるダイナミックな神の御業全体である。そのような神様の救いの歴史の一コマ一コマとして、私たちの小さな人生の歩みが用いられている。

◇私たちは、地上を歩みつつも、天の国の市民である(3:20)。しかし、天に属しているからといって、この地上の生活を軽視してよいことにはならない。パウロは私たちの地上の歩みをレースにたとえている(3:14)。神様からの救いをいただくにふさわしく歩み続けることなしには、ゴールにはたどりつかない。

◇どのように歩み続けることが私たちキリスト者と教会に求められているのか。まずはイエス様を不要とする歩みに陥らないことだ。私たちがイエス様に目を留め、イエス様と共に歩み続け、イエス様の復活にもあずかるという救いの完成へと進んでいくことである。イエス・キリストはすでに罪と死の力に勝利し、復活された方である。キリストの復活の力によって、私たちもまた復活に達することができるという約束が与えられている。しかし、キリストの復活の力に与るためには、イエス様の苦難、十字架にあずかる歩みが必ず必要となってくる。 ◇キリストの十字架が示すのは、完全な者になることより不完全なまま留まること、強くなろうとすることよりも弱さの中を誠実に生きること、平安より不安なまま、高められることよりも身を低くして歩むこと、名誉よりも恥の中に留まること。それぞれに与えられている十字架を背負いながら、弱さや恥のうちをしっかり歩んでいく。それこそが御心にふさわしくこの世界を創り変えようとしておられる神様の救いの御業に参与していくことであり、救いの完成へと向かう私たちの歩み方である。