◇主の教会は問題や困難を抱えていながらも、教会の主が新しく道を切り拓いてくださるからこそ前に進むことができる。
◇コリントの信徒への手紙一の12章は、地上に建てられている主の教会すべてが「キリストの体」とされていることを示している。私たちがいろいろな役割を担ってキリストの体とされ、キリストが働いてくださるその働きを私たちが担う。
◇コリント教会はいろいろな問題を抱えていた。しかし教会は、神様の霊的な力が教会の人々に注がれて、主イエスの十字架によって明らかにされた福音を信じて生きようとする群れである。どんなに問題を抱えていても教会がそこに存立しているということは、人間的な努力によるのではなく、聖霊の導きが先に働いて、そこに教職や、また信徒を興してくださったということである(12:3)。
◇しかしコリントの教会の中で一部の人たちが、霊的な能力をあたかも自分の才能のように捉え自慢げに誇っていた。パウロは12:4以下で、その人たちに賜物や務め、そして働きの違いを越えて「同じ霊」「同じ主」そして「同じ神」が教会の群れの一人ひとりに働いてくださっていることを告げている。「全体の益となるためです」と、教会全体のことを視野に入れて一人ひとりに賜物が与えられていることを言いたいがためである。
◇パウロは霊的な賜物を与えられて誇りたくなる人であっても、「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に務めなさい」と言う。その「もっと大きな賜物」とは、神様の愛をもっと深く受ける者となるようにとの呼びかけである。
◇すでにこの12章でパウロは教会を私たちの体に喩え、特に弱いところを補い合うことが必要であることを強く語った。主の教会に結ばれている者には、神の愛から発している賜物がゆたかに注がれている。私たちは教会生活を通して神様の愛を指し示す役割を与えられていることを覚えたい。 (要約:李 暁静)