◇私たちの信仰の中心は「イエスは真の神に して真の人である」、このことを信じ、告白 することである。真の神イエス様に出会わな ければ、このことを信じ、告白することは出 来ない。多くの人は真の神イエス様に出会っ ていない。それは、真の神であるイエス様が 私たちに出会ってくださらないからではな い。神の子イエス様は、全ての人に出会うた めに、一番低い所へと降ってこられた。十字 架の死と復活によって、私たちと神様の間の 壁を打ち壊し、私たちが神様へと近づく道を 開いてくださった。イエス様に出会えない、 見えないのは、むしろ私たちに原因がある。
◇ナザレの人たちはイエス様を目の前にし て、語られる言葉に驚きながらも、イエス様 は真の神であることを信じなかった。真の神 イエス様に出会うこともできなかった。彼ら はイエス様の知恵と力に満ちた言葉が、自分 たちが知り得ないところから来ていることを 知りながら、自分たちの知っている大工の息 子のイメージの中に、イエス様を押し込もう としている。傲慢のゆえに、彼らは神様の御 言葉を受け入れることも、真の神イエス様に 出会うこともできなかった。イエス様は真の 神である、そのことを信じなければ、自分の 救い主として受け入れることはできない。イ エス様を受け入れなければ、なさった奇跡も 奇跡として見ることができず、その御業を恵 みとして受け取ることも出来ない。
◇ナザレの人たちの姿は私たちの姿でもあ る。私たちは傲慢になりがちな者である。信 仰生活を続けていくうちに、自分の思いだけ が大きくなり、礼拝で語られる神様の言葉 を、新しい教えとして聞き取ることが出来な くなることがある。イエス様に出会えないま ま、恵みを受け取ることができないまま礼拝 を終わってしまうことがある。神様は御言葉 を通して、私たちに心の貧しさ、つまり謙遜 な心を求めておられる。へり下ってイエス様 を仰ぎ見よう。御言葉を新たな思いを持って 受け入れ、神様の恵みを日々いただこう。御 言葉こそが私たちを活かす力なのである。