◇ナオミとルツのベツレヘムでの生活が始まり、ルツはナオミと一緒に生きていくために、落ち穂拾いをするという具体的な行動に出た。イスラエルでは人道上の規定として落ち穂拾いが位置づけられていたが、それは「エジプトの地で奴隷であったことを思い起こしなさい」との理由からであった。
◇落ち穂拾いによって生きる道を見いだしたルツは、親切な人の了解があってこそだと承知している。今日の私たちの生活から見れば、そうなりたくない境遇かもしれないが、ルツの行いには、落ち穂拾いによって生きていくことへの積極性を読み取ることができる。そしてそれは決して惨めな生活ではなく、神様の庇護を信じ、委ねて生きる、極めて主体的な生き方に他ならない。
◇落ち穂拾いの規定が定められていたとはいえ、邪魔な存在と扱われる危険も抱えていたのであろう。ボアズは、ナオミに「惨めな思い」をさせないように配慮している。ところで、ルツはもう一つ問題を抱えていた。ルツの出身国モアブが、イスラエルにとって重大な敵となった歴史があったのである。そのような中でモアブの女であるルツがイスラエルの信仰に触れ、イスラエルの歴史に深く関わったことは特筆すべきことであろう。
◇1章ではナオミにとって、ルツの存在が神様の慈しみを注ぐ器とされており、2章ではボアズが神様の慈しみを具体的に注ぐ器として備えられている。落ち穂拾いによって得た麦の分量1エファは、約23リットルである。これは奇跡的と言ってよい。このルツの働きと、神様の慈しみを具体的にルツに示したボアズの存在が、ナオミの神様への信仰を新たにしている。神様は私たちの周囲に色々な人をお遣わしくださり、その人を通して神様の慈しみが私たちにも注がれる。そのことを感謝して受け止め、私たちも誰かのために支えの御手となり用いられることも覚えて、新たな歩みを続けてまいりたい。