◇聖書には、神様の壮大な救いの歴史が示されている。そして教会生活をしている人も、未だ教会生活に入っていない人も、聖書の御言葉に触れる度に「あなたもこの壮大な神様の救いの歴史の中に生かされている一人だ、あなたの家族はそういう家族だ」と、神様が呼びかけてくださっている。
◇相次ぐ悲しみの中、ベツレヘムが飢饉から回復したことを聞いて帰って来たナオミは、深い嘆きを町の女性たちに告白している。しかしナオミには、息子の嫁であったルツが大きな転機をもたらした。ルツは外国人の女性であるというハンディを負いながら、一人の人間として主体的に、ナオミと共にイスラエルの社会で生きたのである。彼女のしっかりした意思を生み出す芯となっているものは、彼女が1章で語ったヤーウェの神への信頼と断言できる。その生き方は落ち穂拾いという生活であったが、彼女は卑屈になることなく堂々と生きた。このルツの必死に生きる姿は、それを受け入れる者に共感を生み、神様の憐れみを身をもって現す人物が登場した。それが親戚筋にあたるボアズであった。
◇やがてボアズとルツが結婚し子どもが与えられるが、エリメレク一族の歴史を超える、私たちにはとても想像できないような形で、イスラエルの歴史を導く神様の大事な歴史が織りなされていく。それは、救いの歴史の広がりと深い意味を改めて示すものであった。ルツが産んだオベドはあのダビデの祖父となったのだ。マタイによる福音書冒頭のイエス・キリストの系図に記されている。主イエスは、神の民イスラエルの歴史の中に登場し、救いの出来事を成し遂げてくださった。人の目に隠されていても、要所で神様は働いてくださり、私たちと私たちの家族の歴史も導かれている。どんなに不幸を背負っていても、私たちを神様の慈しみに生きる者にしてくださり、その一翼を担う者に変えてくださる。神様の救いの歴史の中に生かされていることを共々に感謝したいと思う。 (要約:金井恭子)