◇今日の聖書箇所でエレミヤは「牧者」つま り王のことを語る。北イスラエル王国の滅亡 をうけ、南ユダのヨシヤ王は、律法の書を基 にして神様に立ち返るよう、国民に促した。 ところがその後の王たちは、神様に背くこと ばかり行う。22章にはついにダビデ王朝の断 絶と、南ユダ王国の滅亡が預言され、バビロ ン捕囚が始まる。
◇しかし神様は、救いの業もなされる。ユダ の民の残りの者をバビロンから一人ひとり連 れ帰り、その住まいに戻す、と宣言される。 民の新しい生活が始まる。ダビデ王朝という 大木は根元から切り倒されてしまったが、神 様はダビデのために新しい芽を出させてくだ さる。弱々しく見えるひこばえだが、全世界 を導き、公正と正義を行われる。神様は、豊 かな哀れみをもって私たちを赦し、義として くださるのである。
◇私たちは時に自分を「王」としてしまう。 自分の望み通りにできると考えたり、自分で 稼いだお金を何に使おうと自由だと思うこと がある。だがそれらは、すべて神様から頂い たものである。私たちの生活の中心に神様を 置かなければならない。人間は弱い。どうし ても神様から離れる力が働く。それに気づい たら「神様。申し訳ございません。直しま す」と祈ることが大切である。
◇イエス様は、今にも踏みつぶされそうなひ こばえとして私たちの真ん中に来られた。イ エス様は、私たちの弱さをご存じである。だ から私たちはそのイエス様に導かれて生きる ことができる。イエス様の誕生は、出エジプ トとも、捕囚からの解放とも異なる、新しい 神様の救いの業なのである。世の終わりの 日、「あなたは地上の生活で、与えられたタ ラントンをどう他者のために用いたか?」と いう神様からの問いかけに、私たちには恐れ がない。イエス様がついておられ、どう答え るべきか、教えてくださるからである。た だ、神様を忘れず、心備えをしてその日を待 つ。そうしてこそ、クリスマスを楽しみに生 きることができるのである。