◇待降節第二主日のこの時期に、新たにヨハ ネによる福音書から神様の御言葉が与えられ ている。クリスマス到来の意味を、御子イエ ス・キリストのお働きが始まったことに重ね 合わせて示されているのである。イザヤ書に は「異邦人のガリラヤに栄光が与えられる」と あり、ガリラヤでの宣教の始めが、この2章の カナでの婚礼の出来事としてヨハネによる福 音書だけが伝えている。
◇水の入ったかめを宴会の世話役のところに もっていくと、それが極上のぶどう酒に変 わっていたという出来事は、清めの儀式のた めの水が天の国で神様の恵みを実際味わい知 る宴の前触れとして、美味しいぶどう酒に変 えられたということである。この奇跡が、辺境 の地と見られていたガリラヤのカナで起こっ たことにも意味があるであろう。そして、これ らの様子を知らされた弟子たちもまた、主イ エスのなさったしるしに触れて、「イエスを信 じた」のである。今ここにイエス様による新し い恵みの支配が起こっている。それゆえに弟 子たちはイエス様を神の子として、メシアと して、来るべき預言者以上のお方として受け とったのである。主イエスご自身はここでは 花婿ではないが、ここに起こったことは、私た ちを神の恵みと祝福の中に生かしてくださる ために、イエス様ご自身が花婿として来てく ださっていることにつながっているのであ る。
◇花嫁は誰であろうか?それは、これから建 てられる教会であり、その教会に呼び集めら れイエスキリストが来てくださったことを心 から喜ぶ私たちそのものなのだ。この世界全 体は未だ、花婿としてイエス様をお迎えする には至っていないかもしれないが、イエス様 は既に来てくださっている。カナの結婚式の 喜びに満ちた光景は、イエス様ご自身を花婿 としてお迎えする、その宴の時へと結ばれて いるのだ。私たちは、クリスマスまでの日々を それぞれ心して備え、この世界に喜びをもた らしてくださる花婿イエス・キリストをお迎 えする者となりたいと思う。