◇日常生活の中で、自身の病、困難、自分が抱 えている様々な問題を「これは私の十字架で す」と聞く。これらのことは、単なる重荷にす ぎない。イエス様は「自分の十字架を負って」 の前に、「私について行きたい者は、自分を捨 てなさい」と言われている。自分の十字架はイ エス様について行く時、自分を捨てることに よって、生じる。自分の思い、自己中心な生き 方、自分は自分の人生の主人である、この生き 方を捨てることである。
◇自分を捨てることの難しさ、辛さを、私た ちは体験する。イエス様に従うには、自分の 思う道、好きな道を歩むのではなく、イエス 様が示された道を歩まなければならない。こ の道は、時には私たちが想像もできない、艱 難の道、試練の道であることもある。ときに は、私たちはペトロのように、自分の思いが 神様の救いの計画の邪魔になることもある。 イエス様から「引き下がれ」、「私の後ろに 行け」と厳しく りつけることも、愛の鞭を 持って私たちを戒めることさえもある。これ らのことは、イエス様の後ろについて行きた い者だけが体験する。
◇「自分を捨てる」ことによって生じる葛 藤、痛み、苦しみは、それは「自分の十字 架」である。このことに耐える、信仰の試練 に耐えること、それは「自分の十字架を負 う」ことである。「自分の十字架」はイエス 様に従うためのものである故に、私たちが自 分で探し出して、自分でそれを背負うことは できない。イエス様自らが私たちに与えら れ、私たちに背負わせるのである。それゆえ に、私たちは自分の十字架を負って、イエス 様に従って歩む時、イエス様は私たちを支え てくださり、導き、助けてくださる。私たち のすべての重荷をも共に担ってくださる。神 の国が訪れる時、イエス様に従う者には、キ リストは、必ず復活の恵み、永遠の命、栄 光、誉れを与えてくださる(27節)。
◇救い主のご降誕を待ち望む歩みの中で、十字 架の恵みを、新たに覚え、自分の十字架を負っ て、主の後ろについて行く者であり続けたい。