◇イエス様は、ペトロの信仰告白を受けた後、ご自身の受難と復活を予告された。十字架に向かう、という重大な使命をはっきりと自覚されたのである。山で祈っておられるとそのお顔が変わった。かつてモーセがシナイ山で神様と会い、律法を受けた時、彼の顔が光っていたことと似ている。この時からイスラエルの民は律法に従って、神様との契約の中で生きていく群れとされたのである。イエス様の場合はもっと広く、人類全体に対するイエス様の働きかけが、それまでとは違う段階に入ったことを表している。
◇律法を代表するモーセと、世の終わりに地上に再び現れることになっているエリヤが現われる。そして弟子たちの現在であるイエス様がおられる。この3人がイエス様の最後について語り合っている。この「最後」は、出発、あるいは脱出、という言葉である。それは、イエス様の死は、死で終わらず、栄光の復活につながっていること、またモーセがイスラエルの民を率いてエジプト脱出を果たしたように、イエス様が信じる者を罪から救って、天国へと導いてくださる、そのことまで含めて語り合っているのである。幕屋を3つ造ろうというペトロの願いは退けられる。なぜなら、雲の中から聞こえた声の通り、私たちが頼るべき方はイエス様しかないからである。
◇イエス様一行が山を下りると、一人息子の癒しを望む父親が現れる。弟子たちもこの子どもに取りついた悪霊を追い出すことができない。イエス様はこの事態を見て、「今の世は神様を知っているのに背を向け、神様の救いの業を知っているのにそれを捻じ曲げて教え、理解しようとしている。」とおっしゃる。悪霊は、この子の存在を完全に打ち砕こうとするが、イエス様は逆に悪霊を打ち砕かれた。それだけでなく、見ていた人たちの人間的な思いをも打ち砕かれたのである。さらにイエス様は世の悪を打ち砕き、信じる者を天国へと導かれるのである。私たちはこの力ある方に信頼して歩んで行こう。