2024/02/25「光の子として歩む」エフェソの信徒への手紙 5:6~20 伝道師 太田 好則

◇エフェソの信徒への手紙は、構造的に2つに分けて考えることができる。3章まではキリスト教の教え、教義的なことがらを述べている。4章からは、キリストにあって私たちがどのように歩むべきかを示してくれている。パウロは、生活上のことがらを細かく指示している。今日の聖書箇所は15節あるが、原文のギリシア語で見ると、その中に動詞の命令法が12個も入っている。~しなさい、~してはなりません、と言われると、嫌になってしまう人もいるだろう。 

◇パウロはただ、清く、正しく、美しく、よい子で生きて行きなさい! とそういうことだけを言っているわけではない。「誰も、あなたがたを虚しい言葉で欺くようなことがあってはならない。」というのは、裏をかえせば、「信仰者の上に神の怒りが下ることはない。」という神様の約束の言葉である。救いに繋がらない、実りのない虚しい言葉に惑わされるようなことがあってはならない。だから、十字架のイエス様が示された救いの道を、逸れずに進み続けることが大切なのである。 

◇あなたはかつて、光であるイエス様から逃げ隠れしていた。しかし闇にうずくまっていることはできない。今、あなたは光に照らされている。だから世の人すべてがあなたの姿を見ることができる。あなたは、光の中でイエス様に守られているだけではない。あなたはイエス様に造り変えられ、光になっている。その光で闇の業を明るみに出しなさい、そうパウロは言う。日本では、クリスチャンはマイノリティだが、私たちは、この社会の良きスパイスとして生きていくことができるのではないか。 

◇パウロが一番言いたいところは「霊に満たされなさい」である。神様の愛で心をいっぱいにしなさい、神様の光を全身に受けなさい。それが一番大切なことである。その手段が御言葉と歌と祈り、つまり礼拝に不可欠な3点セットである。礼拝をきちんと守り、聖霊と愛と光で心を満たす、信仰生活でこれよりも大きなことはない。