2024/05/05「裁きから解放する主イエス」ヨハネによる福音書 5:19~30  牧師 古屋 治雄




◇ヨハネ5章のベトザタの池での癒しは、イエス様が安息日に行われたことである。イエス様はこのことを通して、安息日は、「人間が何もしない日」ではなく、「神様が私たちのために働いていてくださることを覚える日」であることを教えられたのである。
◇イエス様がベトザタの池での癒しなど、多くのしるしを行われたことに、人々は驚いた。しかしそれよりもはるかに大きな、神様が死者を復活させてくださるという出来事に、人々は驚くことになる。それはイエス様ご自身の復活の予告でもある。復活は、あまりにも大きくて、私たちにはとらえきれない。
◇イエス様を十字架の死に追いやった力は、ユダヤ人指導者たちの虚栄であり、ローマの権力者の保身であり、弟子たちの裏切りと逃亡であった。これら地上にうごめく力、私たちの内に巣くう力、神に反抗する勢力は、最終的な力ではない。イエス様は復活の出来事により、こうした闇の勢力に勝利してくださった。復活のイエス様はこの勝利によって私たちを、神様に赦され、神様の命に生きる者としてくださったのである。
◇その事実は、私たちとは関係ない、不思議な出来事ではない。イエス様は復活の力を私たちのために発揮してくださる。私たちは、イエス様の介在によって神様の裁きから解放されているのである。本日の招詞、ヨハネによる福音書12:47に見るように、私たちは裁きを受けることがなく、死から命へと移されている。イエス様はそのように呼びかけておられる。これはイエス様の確かな言葉である。私たちは遠慮なく、感謝して、堂々と生きることができる。この地上の闇の力に勝利した力が私たちに注がれているからである。
◇イエス様は今もなお、働いておられる。裁きから解放され、御子と共に新しく生きる道へと全ての人を招くために。教会は、この福音を知らない人々に、この時代を歩むための解放の言葉を伝道の言葉として語り続けるのである。
(要約:太田好則)