2024/06/16「キリスト者の生き方」ヘブライ人への手紙12:14~29  伝道師 太田 好則

◇ヘブライ人への手紙は、旧約聖書に出て来るさまざまなイメージを用いて書かれている。エサウは一杯の豆のスープと引き換えに長子の権利を売り渡してしまう(創25・27章)。長子の権利とは、神様の祝福、「神様の事柄」である。それをエサウは食べ物、「人間の事柄」、と引き換えにしてしまった。人間の堕落はこのように、小さなことから始まるのである。
◇18節~21節は出エジプト記19章~20章のシナイ山でのできごとを背景にしている。恐ろしい光景が描かれている。だがヘブライ書は、あなたがたは、山が揺れ動くような場所に来たのではない。神様の都である天のエルサレムに、信仰によって到達したのだ、と言う。天のエルサレムにはクリスチャンの教会がある。そこには裁き主なる神様、完全とされた義人がおり、私たちを信仰によって神の国に入れてくださるという神様の宣言を実行してくださるイエス様がいらっしゃる。そしてイエス様の血潮がある。アベルの血が土の中から神様に向かって叫んでいる(創4章)のは、復讐の叫びである。イエス・キリストの血潮は、復讐ではなく、贖い、つまり私たちを血の値をもって悪魔から買い戻してくださり、生命を与えてくださる血潮なのである。
◇「もう一度、私は地だけではなく天をも揺り動かす。」と言われている。この天と地さえも終わりを迎える。残るのは神様の御国、天国である。私たちは神の国、天のエルサレムに入れていただけることが、すでに宣言されている。キリスト者の生き方とは、次の2つのことの両方からなっている。(1) 私たちはすでに天国入り内定者になっているのだから、堂々と、怖れずに歩むことができる、喜んで神様に仕えることができる。(2) イエス様の血潮により悪魔の手から買い戻していただいた私たちは、再び悪の道に進んで、焼き尽くされてしまわないよう、神様を畏れつつ歩まなければならない。この2つを覚えて、阿佐ヶ谷教会の歴史の第2世紀を歩んで行こう。