◇ローマの教会はパウロが建てたのではない。それどころか、パウロはまだローマに行ったことがない。まだ見ぬローマの人々に自分を使徒として紹介し、自分の伝えている福音はこのようなものである、ということを11章まで、多くの字数をかけて語る。それに続いて、キリスト者の具体的な生活について語り始める。ローマの教会の様子を人づてに聞いていたから、こうしたことが書けたのであろう。
◇ローマの教会内に、対立があったことがうかがえる。どのような対立か。ガラテヤ教会のように、異邦人キリスト者をユダヤ化しようとする人たちがいたのか。あるいはコリント教会のように偶像に捧げられた肉を食べて良いかどうかの問題か。そうしたことではない。ローマの教会には、肉を食べない、ぶどう酒を飲まない、という形で日常生活を非常に慎重に歩む人たちのグループがあった。その一方で、「何を食べ、何を飲んでもよい」と大胆に歩む人たちがいて、慎重なグループと対立していたのである。ここでパウロは、単に「仲良くしなさい」とか「互いに配慮しあいなさい」と言っているわけではない。
◇パウロは、「それ自体で汚れたものは何一つありません。汚れていると思う人にとってだけ、それは汚れたものになるのです。」と言い切る。だが「汚れは、気の持ちようによって起こる」と言っているわけでもない。大事なことは、信仰による確信を頂いて行動することである。疑い、不安、恐れ、そうしたものから「汚れ」が生ずるからである。
◇「生きるとすれば主のために」、「死ぬとすれば主のために」とは、イエス・キリストを信じる信仰に基づいて生き、そして死ぬ、ということである。パウロは、信仰を基礎において自分の言動を吟味するよう勧めている。それは祈りによって確信を与えられて行動するためである。もし自分の言動が誤りであったことに気づいたら、素直に主に告白すればよい。豊かな赦しも主のもとにあるからである。何事も主に祈って始めよう。