2024/07/28「亀裂の深まるただ中で」ヨハネによる福音書7:32~39 牧師 古屋 治雄

◇「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい」。仮庵の祭りの最終日にエルサレムで主イエスは大声で言われた。私たちは水がないと命の危機に瀕するが、主イエスが私たちに与えて下さるのはどんな水なのだろうか。
◇仮庵の祭りには、モーセに率いられた民が神の導きで荒れ野を進んだ事を覚える意味がある。祭りは8日間行われ、荒れ野で神から水を与えられた事を覚えて、祭壇の西側に水を注ぐ灌水の儀式が行われた。また神の光に導かれて進んだことを覚えて灯りが灯された。その祭りの最終日に主イエスが大声で語りかけた。奇異に受け止めた人も多かったであろう。
◇主イエスのこの言葉は、ヨハネ4章の、シカルの井戸辺でサマリアの女性に語られた中にもある。そこで主イエスは「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」と言われた。4章でも7章でも、主イエスはご自分が神の許から来られた救い主である事を伝えた。
◇祭りの頃、主イエスの登場によってユダヤ社会は大きく揺さぶられていた。「これは、人々が殺そうと狙っている者ではないか」(7:25)と言う者がいた。指導者達が主イエスの命を狙う動きは知られる所となっていた。主イエスが神殿の境内で両替商たちを追い散らし、6章のパンの奇蹟で主イエスがご自分を「天から降って来た生けるパン」と言われたこともユダヤ人たちには許しがたかった。
◇主イエスは数々の奇跡を起こされたが、人々は奇跡を歓迎しても、イエス様が神から来られた方で十字架で死んでいくことに気がつかなかった。人々の中に敵意が徐々に増幅していく。
◇今日の私たちは、あの弟子たちが復活の主に出会い、聖霊を注がれ、主を宣べ伝える者とされた歴史の中に結ばれている。私たちにも聖霊が注がれていることを信じ、与えられた役割を担う者となりたい。