2024/08/04「残りの者に平和をもたらす主」ミカ書5:1~14 牧師 古屋 治雄

◇戦後79年目の平和聖日にあたって、広島、長崎の原爆、そして日本の敗戦の意味を覚えたい。アジアでもヨーロッパでも失われた生命は数知れず、戦闘員のみならず、非戦闘員も巻き込まれ、生活基盤を破壊され、人間性を奪われた。敵を殺して自分が生きることが前線でも「銃後」でも正当化されていた。昭和20年の週報によれば、阿佐ヶ谷教会でも礼拝次第の冒頭に宮城遥拝がなされていた。今の私たちは、中東や東欧での戦火の状況に慣れてはならない。神様が創造された世界は祝福されていたのだから。
◇教団議長を務められた大村勇牧師は、1965年に訪韓し、戦後の教団の新たな姿勢を示し、和解の進展に寄与された。同年の世界聖餐日礼拝で「まず行って兄弟と和解せよ」と題する説教をされた。私たちは神様との和解から始めて、兄弟との和解をせねばならない。そうしてこそ、私たちは和解を生み出すものとしていただけるのである。聖書の神の民の歴史を振り返りつつ、日本の社会がどう進むべきか、私たちがどう生きるべきか、考えて行こう。
◇ミカは神の計画に巻き込まれ、裁きの言葉を語らねばならない。民が神中心に生きていないこと、礼拝が形骸化していることを、包まず語る。 3章9~12節は完全な滅びの預言である。しかしその裁きを、回避するのでなく、貫いて、イスラ エルを再興し、新しい歴史を担う特別な使命を負わせられる。人間には受け止めきれないが、神様の裁きには意味がある。残された者こそ、その使命を担うことができる。
◇イエス様は山上の説教で「平和を造る人々は、幸いである」と言われた。神ならぬ私たちにはできないことのように思われる。しかし、現実的でない、理想主義と言われようとも、神様は私たちを残りの者としてくださり、平和の君を中心として、正義と平和の社会になるように、私たちを押し出してくださるのである。神様から平和の福音を伝える大切な使命を与えられている私たちは、畏れと感謝をもって8月を歩んで行こう。