2024/09/15「キリストの愛」エフェソの信徒への手紙3:14~21伝道師 太田 好則 

◇人間は皆、心の働き全体を神様の豊かな栄光によって強められなければならない。私たちキリスト者は、洗礼によって信仰を与えられるが、それですべてが解決するわけではない。私たちはイエス様になることはできないが、イエス様の性質を映し出すことはできる。よりマシな人間になることはできる。私たちは、洗礼を受けてから、地上の歩みを終える時に至るまで、こうした宿題を抱えながら生きて行く。 
◇この宿題は、イエス様が共に解決してくださる。ただ、このことは信仰に拠る。私たちは、たえず神様に心を向けて、イエス様を心の内に受け入れるのである。イエス様が私たちの内にいてくださることによって、私たちは愛に根を張る植物のようにしっかり立つことができる。神様の性質で満たしていただくことができる。神様の無限である性質の、ほんのひとかけらでも私たちにいただけるなら、私たちは豊かに満たされる。 
◇パウロは「知識は人を膨らませるが、愛は人を建て上げる」(Ⅰコリ8:1)と言う。だが知識に意味がないのではない。イエス様の愛は、人間の認識を通して知られる。だから私たちは、知識から知識へ、信仰から信仰へと進まねばならない。まず礼拝で、祈祷会で、例会で、聖書の話を聞くことが大切である。しかし聞いても行わなければ天の国には入れていただけない。み心を聞いて行っている「信仰の先輩」と語り合うことも重要である。 
◇私たちはキリストの愛の注ぎを豊かに受けて、愛の光を放つことができる。けれども心の中に「私」というものが大きな場所を占めているので、私たちは心が満たされてことを感じられない。「私」を何とか縮小させないと、神様からの賜物を受け入れることができない。だが、それは人間には難しいことである。この宿題を解くには、教会の友と団体戦で取り組む必要がある。 
◇私たちには祈ることが許されている。大胆に願ってよい。必死に食い下がってもよい。神様は人間の思いを越えて、私たちに最善のものを与えてくださる。