2024/09/29「寄留者、滞在者としての私たち」ペトロの手紙一 2:11~17 牧師 中野 実

◇私たちキリスト者は、神の民として信仰共同体を形成しつつ、神様からの特別な使命を担いながら歩んでいる者たちである。しかし、その歩みは決して容易なものではなく、この世の人々が見ようとしないことに注目しながら歩む難しさを感じるときがある。2章11節で「この世では寄留者であり、滞在者」であるとされているが、使徒パウロはフィリピの教会の人々に「私たちの国籍は天にあります」(フィリピ3:20)と言っている。つまり、私たちは神に属する者、神の民であり、私たち一人ひとりは神の子だということである。


◇使徒パウロは「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」(ローマ12:2)と言っているが、この世を否定しこの世から逃避するということではない。1章3節に「私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてくださいました」とあるように、私たち信仰者は、この世において歩みつつも、もはや天に属する神の国の市民として新しく誕生した存在なのだ。ではなぜ私たちはこの世においてなおも歩みを続けなければならないのか。それは、この世がどんなに神様の御心からかけ離れていたとしても、神様がお造りになり愛しておられる世界だからであり、今もなおこの世界がご自分の御心にかなう世界となるよう願い、常に働きかけてくださっているからだ。私たち信仰者は、まさにその御心の実現のために用いられる存在なのだ。13節で「すべて人間の立てた制度に、主のゆえに服従しなさい」と勧めるのは、この世の人間的な事柄もまた神様の被造物であるがゆえに、真剣にそれらと向き合いなさいということではないだろうか。


◇私たち信仰者がこの世において困難を感じていることにこそ、私たちの大切な使命が隠されている。この世の価値観からは評価されず、見過ごされてしまいがちな現実に目を留め、できる限りそれらを担っていくことが、私たちキリスト者とキリストの体である教会に委ねられた使命なのではないだろうか。