◇「信仰に生きる」とは何か、パウロは私たちを「幕屋」に例えて語ります。幕屋には土台がなく、強い風が吹けば吹き飛ばされてしまいます。パウロは私たちがこの壊れやすい幕屋のような存在であり、その中にあって呻きながら、天から与えられる住まいを切に願っていると述べます。そして神様はイエス・キリストを通して「キリストを着る」ことで新しい住まいを与えてくださいます。それは、放蕩の限りを尽くした息子に父親が最上の衣を着せたように、神様はキリストを私たちに着せてくださるのです。それでも私たちは目に見えるものにとらわれてしまい、神様が用意されている素晴らしいものを受け入れられずにいます。そんな私たちが確信できるように神様は聖霊を与えてくださり、確信を持って生きることができるのです。
◇また信仰に生きるとは、地上での生活を無意味にするものではありません。パウロは天から与えられる住まいに注目しながらも、地上での生活も心に留めています。なぜならこの地上にあって、神に喜ばれるものでありたいと願うからです。それは終わりの時に、キリストの裁きの座で私たちがこの世で行ったことに応じて報いを受けるからです。キリスト者であったとしても、神様の救いに甘えるのではなく、日々キリストに喜ばれる生活を送り、信仰に生きる者として歩むことが求められています。この地上にあって苦しみながらも、聖霊によって強められて、共に主と共にある生活、信仰に生きる生活を送って参りましょう。