2024/10/20 「何を目的に生きるか」 フィリピの信徒への手紙3:7~4:1 伝道師 太田 好則

◇日本では科学技術に対する信頼が非常に強い。科学技術は、原因と結果を結びつける証拠を大切にする。それには一定の正しさがある。しかし、私たちが何を目的にして生きているのかは教えてくれない。私たち一人ひとりをそれぞれ、異なる設計図で、異なるご用のために創造された神様は、私たちの日々の嘆き、苦しみ、訴えを聞いてくださるかたでもある。パウロは語る。 

◇パウロは純粋なユダヤ人、正統信仰を受け継ぐベニヤミン族の出である。聖書にある掟も先祖の言い伝えも守って来た。今、パウロは言う。それはすべてゴミである。イエス様を知る知恵は他にないほど大きい。しかし知るためにパウロが努力したというわけではなく、イエス様の方からパウロにぶつかって来てくださったのである。パウロの人生の目的は、救われること、天国に行くことであった。イエス様にしがみついていれば天国に行けると思ったが、そうではなく、イエス様が変わらない、信実な方だから、イエス様を信じさせていただける。信じる者は天国に行けるのである。私たちの国籍は天にある。教会は、天国の大使館である。天国へのビザを発給している。イエス様と天国が降って来る時、この体は、イエス様の体のように、完全な、光り輝く体に甦らされる。 

◇私たちがキリスト様の復活の力をいただくには、キリスト様の苦しみを心の底で味わい、苦しみを共にし、キリスト様が死んだ姿と同じようにならなければならない。キリスト様が十字架にかかって死んだのは、私たちの罪を滅ぼすためである。だから私たちも死ななければならないが、それは生き方を大転換することである。自分のことより他人様のことを考えて生きることである。大事なのは、今まで大切だと思っていたこの世の宝を放棄し、イエス様がくださる宝の方に手を伸ばすことである。「何を目的に生きるか」というと、天国入り確実という喜びを、分かち合うことである。キリスト様を他人様に紹介することである。ちょっと場所を譲る、重い荷物で苦労してる人を手伝う、暖かい笑顔を送る。年齢を重ねてもできることはある。