2024/11/17 「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」ヨハネによる福音書10:1~18 牧師 古屋 治雄

◇今朝は教会学校の子どもたちと一緒に全家族礼拝を捧げており、子どもたちとそれぞれの家庭に神様から豊かな祝福が注がれることを祈った。子どもたちが様々な危険や誘惑から守られて成長することは以前にも増して困難な時代となり、社会全体が神様から子どもを預かっている責任を問われていると思う。
◇イザヤ書の御言葉「見よ、主なる神は力を帯びて来られ、御腕によって統治される。・・・主は羊飼いのようにその群れを飼い、その腕に小羊を集めて、懐に抱き、乳を飲ませる羊を導く」(40:10-11)には、神様が小さい魂を抱きその家族をも導いてくださる中に、私たち一人一人が結ばれていることがあらわされている。
◇羊飼いが羊の世話をするのは当たり前のことであるが、「私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」 (ヨハネ10:10-11)と、神様が私たちを養い育て守ってくださる羊飼いとして登場する。羊飼いとして羊のために命を捨てるということは、私たちの想像の域を超えている。イエス様がお語りになった新しい関係がここにある。羊たちが単に危険から免れるだけでなく、新しい命を得て、神様の命に生きることを指しているのだ。私たちは神様に愛され生かされ、神様の導きによって成長することができる。「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、付いて行く」(ヨハネ10:4)「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである」(ヨハネ10:14)と、イエス様は私たち一人一人を神様の元に導き、自分の命を賭けてくださる羊飼いであることを、ここに宣言されているのだ。新しい命に生かされていることを喜び感謝し、真の羊飼いであるイエス・キリストに養われ導かれている群れとして、歩んで参りたい。