◇アドベント第二の主日の今朝、パウロの手紙であるガラテヤ書の御言葉が与えられている。パウロはガラテヤ書とロマ書で、御子が「時が満ちて、女から生まれた」方であり「肉によればダビデの子孫から生まれた」方であると簡潔に語っている。4章4節から、主イエスは「時が満ち」てお生まれになり「神は御子を女から生まれた者」であり「律法の下に生まれた者として遣わされた」と言われている。主イエスはユダヤの歴史の中に生きてくださったが、そのことに留まらない。同じ人間として地上に生まれ、人間として十字架の苦しみを負って死なれた、そしてモーセを通して選ばれた神の民に与えられた律法も、今まで通りの受け止め方をする時代は終わったのだとパウロは声を大にして語る。なぜパウロは御子を「律法の下に生まれた者」と語るのか。アブラハムに神様がなしてくださった約束に注目しているからである。「ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子孫であるとわきまえなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを見越して、『すべての異邦人があなたによって祝福される』という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰による人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されるのです」(3:7-9)とあるように。
◇御子がこの地上に来られたのは、律法の下にあるユダヤ人だけのためではなかった。ユダヤ人以外の人々に御子によって救いがもたらされていることをはっきり告げるために、ユダヤ人の中に主イエスがお生まれになったことをパウロは確信している。主イエスは律法の支配に終わりをもたらしてくださり、私たちは血統的な意味でのアブラハムの子孫ということではなく神の子として新たに生きる神の民とされている。2024年この地上に生かされているすべての人々が、主イエスを通して新しくアブラハムの子孫として神の子とされ神様の祝福の中に生きることができる道がここに拓かれているのだ。