2025/02/16 「小さくて弱い私たち」マタイによる福音書5:17~20伝道師 太田 好則

◇旧約聖書が3000年近くの間、間違いなく伝えられてきたのは、写字生が獣皮紙から獣皮紙へと、誠実に書き写してくれたおかげである。しかし時代が下ると写字生の中には律法を解釈し、読み替え、神様から頂いた言葉を先祖の言い伝えで上書きし、守らなくても良いと教える者が現れた。こうした者たちが福音書に出て来る律法学者である。

◇律法は神様のご意思そのものであり、人間が守るべきガイドラインである。イエス様が「わたしが来たのは律法を廃止するためではない」と言わざるを得ないのは、「律法なんか守らなくていい」という思想が蔓延していたからである。イエス様は「律法を完成するために来た」と言われる。「律法は依然として有効である。それに対して人間が100点になるために来た。そうしてこそ、神の国が来る。」と言われる。

◇律法学者に対するイエス様の非難のポイントは、神様が与えられた生活上のガイドラインを、人間のレベルまで下げていることにある。天の国を来たらすためには、このガイドラインを、神様が望まれるレベルまで上げて、人間皆の生活態度を100点のところまで持って行かなければならないのである。

◇イエス様は、律法学者たちも、ともかく律法を教えているから、天の国には入れていただける、と言われる。そして驚くべきことには弟子たちに、「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」と言われる。これは非常に厳しい言葉である。

◇しかしイエス様は、山上の説教の戒めを、完全には守ることができない私たちを憐れんで、戒めを守れるように変えてくださる。それでも100点に足りないところは、十字架の血潮によって補ってくださる。そのようにして信じる者を天の国に入れてくださるのである。今こそ私たちは、自力でなんとかできる、という考えを捨て、「主よ、憐れんでください」と祈るのである。