2025/04/20 「死の壁を打ち破る復活の主」ヨハネによる福音書20:19~23 牧師 古屋 治雄

◇主イエスが予告されたとおり、甦られた朝を迎えた。世界の歴史の中でこれほど不思議な出来事はない。人々の中には、復活を歴史的出来事と見ることはできない、と言う人もいる。復活した主イエスは、これまで従ってきた弟子たちや女性たちなど限られた人たちだけに姿を現した。復活は信仰を持って受け止めるべき出来事なのである。

◇主イエスの十字架の死は皆が見ている中で起こった。主の十字架を歴史的出来事として認めない人はいないだろう。しかし主イエスの十字架の死を見た人々は誰もその意味を理解できなかった。ローマ帝国の権力やユダヤ当局の権威だけではなく、私たち一人ひとりが主イエスの言葉と働きを理解できず否定し、死に追いやった。神に敵対して罪を生み出すこの世の力が明らかにされたのである。

◇弟子たちは「私たちも行って、一緒に死のうではないか」(ヨハネ11:16)と豪語し、主の逮捕の時にはペトロが大祭司の手下に切りかかった(18:10)。しかし最後には逃げ去り、主イエスの弟子であったことを否定した(18:17, 25-27)。十字架の場にペトロたちはいなかった。弟子たちは主の十字架の意味を理解できなかった。

◇この日の早朝、マグダラのマリアは復活の主イエスと出会い、そのことを弟子たちに伝えた。ペトロとヨハネは空の墓を見た。それでも弟子たちは死の力に苛まれ、ユダヤ人を恐れて夕方まで部屋に鍵を掛けて閉じこもっていた。しかし主イエスご自身が壁を打ち破り、弟子たちのところに入って来られた。「あなたがたに平和があるように」と主ご自身の声を聞き、すべての恐れが取り除かれ、弟子たちは喜びに包まれた。そして十字架以前に主イエスが予告された言葉を、ようやく受け止めることができたのである。

◇今日、「世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)として十字架で死なれた主が甦り、世の罪がもたらす死を討ち滅ぼした。私たちは一切の迷いを捨て、弟子たちのようにこの救いの出来事を証し、新しく生きる者となろう。