2022/02/13 創立98周年記念礼拝「礼拝者の日常」ローマの信徒への手紙12:1~8 安藤記念教会牧師 長山 信夫

創立98周年記念礼拝

ローマの信徒への手紙12:1~8
安藤記念教会牧師 長山 信夫

◇阿佐ヶ谷教会の歴史は、平岩愃保牧師の自宅における礼拝に始まる。まさに「家の教会」であった。各人に役割が与えられ、伝道していた。また、大村勇牧師は後年、三田に住み、毎日、車いすの愛子夫人を伴って散歩された。そうしたことが人々の目を、キリスト教や教会に向けさせることになったのである。

◇パウロはロマ書11章までで、信仰義認を語る。12章からは信仰者の日常生活について語る。大切なことは、この2つは決して分離しておらず、「信仰義認」は「日常生活」の力だということである。

◇1節、「捧げる」こと。献金において私たちは、私たちの一週間の生活を捧げている。神様はそれをご自身のものとされ、神の器として用いてくださるのである。2節、「神様のみ心を私の心の中に置く」こと。神様の御心は、誰でも理解できる。それに反していることに気づくことができる。(例 創世記2~3章のアダムとエバ)み心に適っているか、反しているか。そこに曖昧さはない。信仰をもって応答するときに神様との絆が与えられるのである。

◇5節以降、教会について語る。自らは慎み深く、他者を思いやることに加えて、大切なのは、一人ひとりは部分でありながら、キリストの体としてふさわしい者とされるということである。パウロは、預言(説教)と奉仕(牧会)は賜物をもって行うべきであり、責任が伴うと考えている。教え、勧め、施し、指導、慈善は、教会を正しく整え、配慮の言葉をかける、そういう働きである。

◇日本基督教団信仰告白は、「神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ。」と言う。この言葉は、他のどの信仰告白にもない、重要な信仰の言い表しである。信仰生活を続けていく中で、神様は私たちを、ご自身に似た者として新たに造り上げてくださる。私たちは喜んで、自分自身を神様に捧げ、神様のご意思に、私たちの信仰をもってお応えし、拙い歩みを続けて行きたい。