2022/01/02 「主はわたしの光、わたしの救い」詩編27:1~14 牧師 古屋 治雄

新年礼拝

詩編27:1~14
牧師 古屋 治雄

◇新しい2022年の朝、詩編 27 編の御言葉が与えられた。「主はわたしの光、わたしの救いわたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦 わたしは誰の前におののくことがあろう。」これは一人の信仰者が告白した言葉だが、当時の神の民とされていたイスラエルの人々皆がこの「わたし」と一体となって神様の光の中である救いの中に生かされている喜びをこのように歌った。クリスマスによってこの地上に注がれた神様の希望の光によって私たちはこの詩編の信仰者と共に新しい年の歩みに入った。この詩編の信仰者は直接神様の独り子が救い主としての到来されたことを知らないが、どんなに困難なことがあっても、決して壊れない、神様への信頼を語っている。

◇旧約の人々と今日の私たちと共通していることがある。それは、神様の家である神殿や幕屋で生ける神様と出会うことで、神様の輝き、麗しさ、栄光に出会うことと言っても良い。今日の私たちの言葉で言うならば、それは礼拝である。困難で厳しい境遇に陥ることがあっても神様を礼拝することを通して私たちは神様の救いの光の中に生かされていることを確信するのである。

◇7 節以下の神様からの言葉は「御顔の輝き」と言い直しても良い。旧約の人々にとって礼拝とは神様の御顔の輝きの前に自分たちを見出すことであり、今日の私たちにとってもそれは同じである。試練に弱く、誘惑に弱い私たちは本能的に神様を恐れ、御顔の前に出ることができない。そういう私たちを神様は礼拝を通して招き、「わたしの顔を尋ね求めよ」と仰ってくださる。その声を聞くとき、私たちは私たちを救い出してくださる神様の御顔にはっきりまみえることができる。過ぐる一年、私たちは礼拝で神様の御顔の輝きの前に集い、神様の御顔の輝きの中に守られていた。

◇新しいこの一年、阿佐ヶ谷教会のスタートにアロンの祝福の言葉を神様からいただくこととしよう。「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように」(民数記 6:24-26)。アーメン。