2022/10/2 「教会財政と伝道者の生活」 コリントの信徒への手紙一9:1~12a 牧師 古屋 治雄

ー世界聖餐日・世界宣教の日礼拝ー


コリントの信徒への手紙一9:1~12a
牧師 古屋 治雄

◇日本キリスト教団の抱える問題がある。全国に1700弱ある教会のうち、信徒数5人以下の教会が120ほどもある。多くの教会が伝道資金を拠出し、謝儀支援をしているが、これらの教会をどう維持していくか、大きな問題である。

◇パウロは今日の箇所で、働かなくてもよい権利を主張しているのではない。そのような要求をするくらいなら「死んだ方がましです(9:15)」と言う。パウロはコリント教会に負担をかけまいとしたことがコリントの信徒への手紙二11~12章に書かれている。またパウロはコリントで出会ったアキラとプリスキラの夫妻とともにテント造りの仕事をしていたことが使徒言行録18章に記されている。パウロはコリント教会から謝儀を受けていなかったのである。

◇しかしコリントの信徒の中には、このことからパウロは本当に使徒なのだろうか、と疑問の声をあげ、パウロを批判する者がいた。それに対する反論が今日の箇所の1~2節の力説になっている。パウロはキリスト者を迫害する者であった。しかし復活の主イエスに出会ったのである。主を見た、自分は主を世界に伝える使徒であるという確信はゆるがない。

◇私たちもまた福音に救われた者である。福音に生きるものとされている。教会に(つまりキリストに)仕える者とされているのである。それぞれに役割を与えられている。伝道者として福音を宣べ伝える役割を担う者が教会には必要である。またその伝道者の生活を支える者も必要である。その働きがキリストに仕えることに繋がるなら、教会は一つとされる。そのような意味でパウロは、コリント教会の人々に、伝道者を立て、支える姿勢を持ってほしいと願っている。

◇メソジスト教会の祖、ウェスレーは「できるだけ得なさい。できるだけ貯めなさい。できるだけ与えなさい。」と、御業のために、自由に、快く捧げることを勧めた。私たちも献金を捧げる時、「御業のために」と祈る。御業とはイエス様を信じる者が新しく生まれることである。その御業ために、私たちは密接な協力関係を築いて行きたい。