2023/06/18「神の家族になる」 マタイによる福音書 12:46~50信徒伝道者 李 暁静


◇神の家族になる基準とは、天の父なる神様の御心を行っているかどうかによる(50節)。神の御心とは、誰でも聖なる神の家族になることである。私たちが神の家族になれるのは、神の御業によるしかない。神様の憐れみと愛、罪の赦し、恩寵によるしかないのである。
◇しかし、神様自ら御心をなされるのだからとはいえ、私たちは何もしなくても、聖なる者、神様の家族になれるというわけではない。神の家族になるのに必要な「ただ一つのこと」とは、礼拝である。私たちは礼拝をささげるだけで、「天の父の御心を行う人」に見なされる。
◇神の家族の交わりは、聖徒の交わりである。濃い人間関係ではない。世界のどこにいても、ただ、主の教会に集い、共にみ言葉を聞き、礼拝をささげ、主の晩餐にあずかるだけで、皆神の家族になる。礼拝すること、共に聖餐にあずかることこそが、聖徒の交わり、神の家族の交わりである。
◇イエス様の母マリアと兄弟たちは「外に立っている」。彼らは、弟子たちや群衆とは違って自分たちが家族だから、その家族が用事があるのだから、自ら入っていくのではなく、「息子イエスよ、兄イエスよ、あなたは出てくるべきである」と考えている。家族関係や様々な人間関係において、私たちはいつも自分の基準で物事を判断し、相手に自分の都合に合わせるように要求する、自己中心的な者である。罪のゆえに、私たちは神と隣人を愛することができない。人間関係の中に、家族関係は一番もろいかもしれない。
◇キリストは福音をもって、私たちの人間関係の中に入って来られた。十字架の恵みによって、断ち切ることのない新しい関係、神の家族の交わりを、ご自身をかしらとすることによって築き上げた。
◇私たちは神の家族である。神様の御用のために、神様の「誰でも神の家族になる」ために、神様の同労者として召された。主の召しに応答し、十字架の恵みに感謝しつつ、主の証人として、キリストの広告塔として、前を向いて歩もう。