◇最終章に至りパウロは、募金をエルサレム教会に届けること(1‐4節)、またコリント教会にしばらく滞在して指導したいという自分の計画について語る(5‐7節)。また同労者テモテを遣わすからその世話をして欲しいと依頼し、さらに、今は実現しそうもないが、いつの日かアポロがコリントに行って、教会を導いてくれるのではないかとの希望を綴っている。
◇私たちは、イエス・キリストの福音を信じる者の教会が世界に広がっていったことを当たり前のこととして受けとめている。だが教会の歴史が始まった当初は、ユダヤ人ではない人がイエス・キリストの福音を受け入れるためには、まずユダヤ人になってユダヤの伝統を継承した後に初めて福音に生きることができる、と考える者も少なくなかった。こう考える人々と、今やユダヤ人という枠は完全に取り払われて誰でも福音を受け入れることができる、と考える人々との間に摩擦や衝突があった。割礼のこと、食物規定のことでパウロとペトロが衝突したことが聖書に伝えられている。
◇パウロはユダヤ人以外の世界の人々に伝道活動を展開したが、ユダヤ人キリスト者で構成されているエルサレム教会のことも視野に入れていた。それが募金を集めて、エルサレム教会に捧げるという具体的な活動である。エルサレム教会に手を差し伸べることは、イエス・キリストによって明らかにされた福音が、世界の人々の福音として広められていく上で、福音伝道の根幹に関わることとパウロは理解していた。
◇募金という言葉は、神様の恵みを表す言葉である。神様から教会生活を通していただいた恵みを自分たちだけで受けるのではなく、他の教会とのネットワークの中で受けとめることは、現在的な意味がある。私たちも自分のこと、自分の教会のことだけではなく、諸教会と連携して、共に恵みに与るために福音を宣べ伝え、神様の恵みを分かち合う具体的な活動を担っていくことが求められている。
◇苦難はある。だが、主が死に勝利されたから、 私たちは押しつぶされない。その確信を私たち の心の中心にいただいて、地上の歩みを歩もう。