◇「5000人に食べ物を与える」この奇跡物語は十字架の出来事と同じく、四つの福音書すべてに記録されている唯一の奇跡物語である。この奇跡物語は、私たちにイエス様は憐れみ深い神様であって、大勢の群衆の腹を満たされたことを示しているのではない。これからキリストの教会を担う弟子たちを訓練するためである。教会はこの世で立ち続ける秘儀を教えられている。
◇弟子たちの力、知恵と知識は、五つのパンと二匹の魚のような小さいもの、無力なもの、乏しいものである。たとえ、もっとたくさん持っていても、彼らはキリストの教会を担うことなど到底できない。イエス様が弟子たちをこの5000人に食べ物を与える奇跡に巻き込んでくださったことを通して、教会の業は、あなた方の力、知識、知恵、能力、あなた方が持っているものによるのではなく、神様の力によるものである。神様自ら働いてくださり、あなたがたはただ渡されたパンを人々に与えるだけである、ただ仕えればよい。イエス様はこのことを教えられている。
◇私たちはそれぞれ賜物を与えられている。賜物は私たちの生まれつきの才能、能力ではない。生まれた後、教会のために与えられた役割、務めである。弟子たちは、自分たちが持っているこの五つのパンと二匹の魚を、イエス様に渡して、清めて、祝福していただいてから、人々に渡した。私たちもまた自分の弱さと共に、生まれつきの才能、能力を神様に捧げる。神様に用いられるのである。
◇この御業に巻き込まれ、仕えた弟子たちは、神様の恵み、祝福というパンでいっぱいになったかごを1人ずつ背負いながら、これから誕生するキリストの教会に仕える者、祝福の器とされていくのである。
◇私たちも、かご一杯のパンを背負わされている幸いな者である。私たちがすべきことは、与えられた役割を忠実に果たすだけである。神様は私たちにこのことを求められる。