2024/05/12「神の業を人間イエスが現す」ヨハネによる福音書 5:31~40  牧師 古屋 治雄

◇ユダヤには安息日に何もしてはいけないという規定があった。安息日に癒しの業を行われた主イエスを、ユダヤ人たちが執拗に糾弾している様子がヨハネによる福音書5章に伝えられている。31節以下47節までは、主イエスの証言が貫かれている。主イエスはご自分の前に立つ者を、神様に呼び出されていることに気づく者にされる。ユダヤ人たちは、彼らなりの正義感と自分たちの信仰によって、主イエスが安息日規定を破り、自分を神と等しい者と語り、神を冒瀆していると断定して告発した。一見これは正しいように見える。しかしこの人々の心の内を覗くなら、彼らの権威主義や自負心、そして自分たちが気づいていない主イエスへの妬みがあると言える。イエス様はそのことを見抜かれ、私たち人間に共通したものだと指摘しておられるのだ。
◇主イエスは出会ってくださる一人ひとりを、いつも神様の前に呼び出してくださる。私たちは、今そうされては困るということもあるし、その逆のことを思うこともある。主イエスは、たとえ今は神様の前に出ることができない、滅ぼされてしまう、と思っている人をも執り成してくださり、神様の前に生きる者としてくださる。神様の前に感謝と喜びをもって立ち上がることができる者に変えてくださるために、イエス様は来てくださったのだ。イエス様の呼びかけは、普遍的な広がりを持つ呼びかけである。この証言が届かない領域はない。
◇御子イエス・キリストは、神様の審きをご自分が受けて、私たちを復活の命に生きる者として生かしてくださった。そのことを鮮やかに示され、聖霊が注がれ、世界中に広められ受け入れられて、今日のキリスト教諸教会が生まれたのである。
◇私たちは、次週聖霊降臨日を迎える。2024年は、私たち阿佐ヶ谷教会も宣教第二世紀に入る。イエス様によって新しい時代が到来していることを宣べ伝える者として、聖霊の注ぎをさらに豊かに受けて、大胆にそして謙虚に、新たな歩みへと進んでまいりたい。
(要約:金井 恭子)