2024/10/27 「死者は朽ちない者に変えられる」コリントの信徒への手紙一15:50~58 牧師 古屋治雄


◇今年も「主の証人たち」という追悼冊子第26巻を作成し、昨年の10月以降神様の御許に送らなければならなかった教会員の人々と共に信仰によって歩んだ地上の歩みを想起し、それらの人々と永遠の命の約束に結ばれていることを覚えようとしている。そして、この在天会員記念礼拝の時が与えられ、私たちの死の中に働いてくださっている神様が、私たちに希望を与えてくださっている。
◇パウロは、初代教会が、主イエスが復活してくださったことを証言する者たちによって生まれ、その教会の歴史がスタートしたことを証ししている。そしてテサロニケの信徒には、「きょうだいたち、眠りに就いた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます」(4:13−14)と呼びかけている。具体的な葬儀のかたちは語られていないが、信仰を与えられて召された人々をどう捉えているか、ここにはっきり語られている。それは、死で私たちは終止符にならないこと、それどころか私たちは地上の歩みを終えることがあっても、私たち自身が復活の命に生かされる、という希望を意味している。
◇「ぽっくり寺」「ぽっくり観音」「コロリ地蔵」などという信心があるが、死にゆく不安を回避して死んでいきたいという願望が潜んでいるように思う。私たちは主イエスの十字架の死と復活を信じている。この信仰に生きる時、死によって朽ち果てる私たちが「朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになる」(15:53)者とされる希望に生きることができる。私たちよりも先に教会の歴史の中から召されていった方々と共に、私たちは、新しい復活の命に結ばれていることを信じ、望みをもって新たな歩みへと進んでまいりたい。