2024/12/1 「平和の君が到来する」イザヤ書8:23~9:11 牧師 古屋 治雄

◇「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ7:14)。この御言葉はマタイ福音書においてマリアの婚約者ヨセフに主の天使が臨んだ時に語られた。主イエスの誕生から700年以上前にイザヤがただ夢想を語っただけだとしたら旧約聖書に残ることはなかっただろう。
◇イザヤが生きた時代、神の民は北イスラエル王国と南ユダ王国に別れていた。台頭する強国アッシリアに対抗するため北イスラエルはアラムと同盟し、南ユダ王国を威嚇して合流を強いた。しかしイザヤは同盟に加わらないようアハズ王に忠告し、その中で冒頭のインマヌエル預言が語られる。そしてアッシリアは南ユダ王国に対する神の裁きの器であると預言された(7:17)。
◇南ユダ王国は神の前でどうであったのか。イザヤ5章で神は南ユダ王国を丹精込めた葡萄畑に喩えている。しかし、「実ったのは酸っぱいぶどうであった」(5:2)。神は葡萄畑を破壊すると宣言する。そのような民に「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれるみどり子が与えられる(9:5)。裁きの言葉と救いの言葉が前後して語られた。
◇関係教職の大島力牧師は近著「イザヤ書を読もう(上)」の中で次のように語っている。
「イザヤは現実政治を担う者たちが『闇』をもたらし、民を苦しめたが、『新しい王』の誕生とその即位によって『光』が輝いたという『大きな変化』を告げています。その意味で、イザヤの『メシア預言』は、後のイエスの『メシアとしての活動』の転機を描くことに見事に用いられていると言えます」
◇今、戦火の音が響き渡る現実のただ中で、私たちはアドベントを迎え、イザヤの預言を聞いている。6節の最後は「万軍の主の熱情がこれを成し遂げる」。イエス・キリストが到来し、この時代に立ち給う。私たちは身を起こし、神様を見上げ、イエス様を与えられた事を心から感謝したい。