2024/12/15 「預言者以上の者」マタイによる福音書 11:2-19 伝道師 太田 好則

◇洗礼者ヨハネは、天の国が明日にも来ると思っていた。しかしイエス様はなおも奇跡を行っておられ、自らメシアだとは名乗りをおあげにならない。イエス様はなぜ、本当の救いを今すぐ実行されないのか。メシアの先駆けとしてのヨハネは少し焦りを感じ、イエス様は自分が期待している方とは違うのか、と疑問を持ち、弟子たちをイエス様のもとに送って尋ねさせる。
◇ヨハネの質問が弟子たちによってイエス様に投げかけられる。イエス様の答で最も重要なところは、「貧しい人は福音を告げ知らされている。」という言葉である。ヨハネはこの言葉を伝え聞いて、安心しただろう。天の国の到来は遅れているのでも停滞しているのでもなく、前進しているのだ、ということを耳にしたからである。イエス様は洗礼者ヨハネの事を大絶賛される。イエス様をしっかりと、くっきりと指し示した、という意味で、あらゆる預言者を上回る預言者だったからである。しかし、最も小さな私たちでも、主の臨在を喜び、主との交わりを喜び、主が御父を示されるのを喜ぶなら、どんな預言者よりも偉大だと言ってくださる。
◇「笛吹けど踊らず」の譬えは、自分の思い通りにならない他者を非難することの譬えである。イエス様はこれを用いてヘロデや律法学者を批判しておられる。彼らはヨハネもイエス様も受け入れないからである。
◇多くの群衆が、相応しい人も、そうでない人も、天の国に、何としても入ろうと押し迫って来ている。その扉をこじ開けてでも、人を押しのけてでも入ろうとしている。しかし、イエス様を受け入れなければ、天の国に入ることはできないのである。福音を受けいれた、知恵ある人は、ヨハネのようにイエス様を指し示し、また、イエス様のように、疎外されている人に寄り添うことを喜びとする、そうした働きをする。平和をもたらし、人々と共感することを喜びとすることになる。私たちも、イエス様がどんな方なのか受けとめ直し、愛と平和の世界を広げ続ける者でありたい。