2025/01/05 「心の貧しい人々は、幸いである」マタイによる福音書5:1~12 牧師 古屋 治雄


◇マタイによる福音書はイエス様の到来を、イザヤの預言の実現として描く。みどり子としてお生まれになった主が、終わりのないダビデの王座を継ぐ方として、平和の君として、永遠に支配される、それらの預言が一つひとつ、イエス様によって目に見える形で実現していると捉えている。不思議な力によって呼び集められた弟子たちを中心に、あらゆる地方から大勢の群衆が出て来て、イエス様に従った。彼らは癒しの奇跡に天の国の始まりを見た。5章に入ってイエス様は八つの「幸い」を語られる。これらの言葉は、常に群衆の中へ浸透し、地の果てまでも広がるのである。これらの言葉は単に処世訓ではない。神様の恵みの支配の開始を告げる言葉なのである。「心の貧しい人々」とは、この恵みを受け入れきれない、完全な形で恵みに与りきれない、神様のご意思に従いきれない人々と捉えることができる。それは私たちそのものである。


◇私たちは幸いの中に存分に生きることができていない。では、私たちは救われないのか。そう
ではない。「私たちを変えてください、恵みの支配を実現してください」と祈ることができる。神様はすでに「天の国の幸いの中に生きなさい。すでに準備はできている。」と呼びかけておられる。神様のご支配が実現したならば、4節以降に表された「幸い」、つまり具体的な心の動きが私たちの内に現れる。このことは天の国の先取りなのである。弟子たちはこれらの言葉を聞いて、内なる変化を与えられ、イエス様を奇跡行為者としてではなく、十字架への道を進まれ、さらに復活される方として捉えるようになった。


◇もちろん、弟子たちはなお、十分には解っていないし、つまずきもある。イエス様は彼らに、この世との衝突「迫害」があることを予告される。しかし天の国の支配は立ち消えにはならず、貫徹される。福音を受けいれ、信仰に踏みとどまるならば、私たちは主に受け入れられ、今日の聖書箇所にある八つの「幸い」の内に生きることができる。これはイエス様の力によって貫徹されるのである。