礼拝説教


2007/2/4 礼拝説教

「種を蒔く人」  牧師 大村 栄

ルカ福音書8:4−15


◇主イエスは前半4-8節の「たとえ」について、後半11-15節で弟子たちだけに説明をされた。それよると「種は神の言葉」であり、「地」はそれを聞く人の心である。種は「道端」(かたい心)、「石地」(熱しやすく冷めやすい心)、「茨の中」(試練に弱い心)という三種類の悪い地のほか、「良い土地」にも蒔かれた。良い地に落ちる確率は四分の一。ここに種蒔きの効率の悪さ、困難さが示される。

◇主イエスがこのたとえを語ったのは、宗教的指導者たちから敵視され、排除されようとしていた状況でだ。伝道の困難に打ちひしがれていた弟子たちに向かって主は語られた。効率が悪いから、困難だからと言って「種を蒔く人」キリストは種蒔きをやめない。それでも大胆に蒔き続けるのだ。

◇中間の9-10節は伝道の熱意に水を差す言葉のように思える。「たとえを用いて話す理由」について、「それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである」。わざと理解を出来ないようにしているのか?たとえを用いるのは分かりやすくするためではない。後半の「たとえの説明」は弟子たちだけに語られた。前半の群衆に語られた「たとえ」だけでは意味が分からない。理解を深めるために、「それはどういう意味ですか?」と問うなど積極的な取り組みをしないならば、誰もそれを「聞いても理解できない」。聞き手の決断を必要とするほど福音宣教は困難なのだ。

◇しかし伝道は決して効率優先ではない。主イエスはキリスト者を「地の塩」と言われる。塩は多ければいいのではなく、控えめにむしろ素材を活かす働きを担うべきである。「ソドムの10人」(創世記18章)という言葉もある。教会はたとえ少数でも、その「10人のために滅ぼさない」という世界の救いに関わる存在でありたい。教勢が伸びないことを嘆いたりしている場合でない。

◇しかし少数であることに開き直ってはならない。神はどんな「悪い土地」も、いつかきっと「良い土地」になることを期待しておられる。イエスが「聞く耳のある者は聞きなさい」と「大声で言われた」のは、積極的に聞いて受け入れる決心を促し、「良い土地」になりなさいと招くためだった。

◇西東京教区では教区による「開拓伝道」を検討しており、2月2日には私が委員長をしている伝道部で開拓伝道のための現地調査をした。立川駅周辺や八王子市片倉、みなみ野、南大沢などの人口増加地区と、近隣の教会と大学を見て回った。人口急増地域にそれに応じるだけの教会がない。このことへの対応を、私たちの教区は神のご委託による大事な課題と受けとめようとしている。

◇教団も教区も、来週創立83周年を迎える阿佐ヶ谷教会も、「種を蒔く人」キリストがなさったように、愛と忍耐を持ってこの地に福音の種を蒔き続ける。地味な作業だが、世界の救いに関わるこの作業に参加していきたいと願うものである。






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