礼拝説教


2007/6/3  礼拝説教

「主のために」
              伝道師 原田 譲治 <三位一体主日>

ローマ書14:7−9

 


◇父・子・聖霊なる愛の神こそ、私たちが与る愛の交わりの根拠だ。それでも 心から愛する相手に「いつまでも、いつまでも、一緒だよ。」と語りかけずに はいられない。ここには、愛する者と今こうして共にいられるという幸せを見 て取ることができる一方、哀しく、切ないひびきがある。必ず迎える肉体の滅 びと共に、地上の生では別れなければならない定めを予感しているかのよう だ。だからこそ、約束と祈りとがないまぜになった心もとない語りかけをせず にはいられない。

◇先に天に召された信徒の家族が、葬式の後に受洗された例は多い。この方々 は、キリストが共におられるからこそ、愛する在天者と確かにいつまでも一緒 なのだと証しする。生は独立したものではなく、しかも死によって中断され る。ここに信仰の根拠がある。私たちが主のものとされているからだ。生は死 の力に引き渡されるように思われるが、十字架の出来事によって逆に生かされ る。生も死も愛も、心許もとなさから解放され、神の支配のもとで確かな意味 を与えられる。

◇パウロはラディカルに「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主の ものです」と述べる。人の最終目的地への方向付けは、「死んだ人にも生きて いる人にも主となられるため」キリストの十字架と復活が与えて下さった。永 遠の命へと入れられる希望をもつように許され、生において死に、死において 生きる。キリストを通して、神ご自身が私たちに示される死と生の新たな現実!

◇「いつまでも、いつまでも、一緒だよ」というあの語りかけは、私たちのも のではなく、実は、イエス・キリストを通しての、主なる神からのものなの だ。人の切ない祈りは主にあって逆転する。キリストにあって罪に死に、永遠 の命に生きよとの、力強い語りかけを「主のために」生きる者は頂ける。信仰 の交わりを通して愛し合う主の恵みを感謝し、地にある者、天にある者すべて に、主に在りて心からの挨拶を送りたい。選ばれて来たるべき御国の世継ぎと してくださるようにと、主への祈りをあわせよう!
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