礼拝説教


2007/7/1  礼拝説教

「隠れた神の働き」          牧師 大 村  栄

ルツ記1:1〜18

 


◇新天地への希望に燃えて出発した4人の家族に、次々に不幸が訪れた。ナオミは頼みの夫が死に、期待した孫の顔を見ない内に二人の息子たちも死んで自分だけが残った。故郷ベツレヘムに帰った彼女を、その昔を知る人々は落ちぶれた様に驚いた。彼女は言う「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください」(20節)。そして神を繰り返し呪い、「出て行くときは満たされていたわたしを、主はうつろ(口語訳では「から手」)にして帰らせた」(21節)と訴えている。

◇しかしナオミは「から手」ではない。彼女を慕い共に生きたいと願っている次男の嫁ルツが同行している。人は幸福の時だけでなく不幸や挫折の時にも、自分を憐れに思う思いに引きずられて、ひそかに備えられている逃れの道や、主の見えざる導きのみ手を見失なうことがある。

◇2-4章にその神の働きが徐々に姿を表わす。落ちぶれた末に落ち穂ひろいをしていたルツに、ボアズという農園主が親切な扱いをしてくれた。彼はナオミの死んだ夫の親戚に当たる人だった。ボアズはルツの誠実な生き方に感銘を覚えて、ナオミとルツに対する親戚としての務めを果たそうと申し出た。

◇ナオミはルツをボアズに嫁がせることを決意し、そのために知恵を用いて熱心に働きかける。ボアズもそれを受け入れて二人は結婚し、男の子オベドが産まれた。そして「オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である」(4:17)。三代後にとんでもない爆発的な事柄が待っていた。ダビデはイスラエルの栄光を実現した王で、主イエスの祖先であり、イエスのひながたとも言われる。そういう栄光を準備する作業に、三人は知らずに関与していた。

◇ボアズの親切、ルツの誠実、ナオミの知恵と冷静さなども有効だったが、何よりも背後にあって働く神の導きのみ手がある。そして三人の登場人物たちは、時を越えて働くその神の導きに、根本的に信頼して生きている。そこにこの物語の尊さがある。

◇人生と世界のいかなる事態の背後にも「隠れた神の働き」があることを信じて、これに信頼しよう。そういう信頼と信仰の中で、互いに「主があなたたちと共におられますように」、「主があなたを祝福してくださいますように」(2:4)と言い交わし、祈り合う教会の群れでありたい。
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