2007/8/5 <平和聖日>礼拝説教
「善をもって悪に勝ちなさい」
牧師 大村 栄
ローマ書12:9−21
◇日本基督教団は1941(昭和16)年6月25日に、国内のプロテスタント33教派が合同してできた合同教会である。政府が宗教団体への統制を行うために制定した「宗教団体法」によって成立したものであり、当時は戦時体制に協力せざるを得なかった。阿佐ヶ谷教会でも、礼拝の前に「皇居遙拝」などの「国民儀礼」を行った(「はこぶね」増刊号10-11頁)。
◇戦後教団は「教憲」(1946年制定)に、戦時下の合同は「くすしき摂理のもとに御霊の賜う一致によって」実現したと記し、国家の要請の背後に、歴史の主なる神の御業を見出して再出発したのである。
◇1962年に教団議長に就任した大村勇牧師は、65年7月に「ベトナムに平和を求めるキリスト者緊急会議」の派遣団長として渡米したが、むしろ日本の戦争責任を痛感し、同年9月に韓国長老教会の総会議場で謝罪を述べた。この時の経験を語った説教が、「まず行って兄弟と和解せよ」(2頁以下)である。次いで大村議長と教団は、自らの戦争責任を神の前に悔い改めることを決意し、66年10月の総会で次期議長に選ばれた鈴木正久牧師(西片町教会)の名で1967年3月に発表したのが「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」だ(7頁)。
◇しかし戦後22年も経ってからの告白はあまりに遅かったと言えよう。「学生紛争」「大学紛争」に呼応するようにして「教団紛争」と称する状況が起こっていた。教団内のいわゆる「社会派」と「教会派」の対立が深まり、「戦責告白」はその対立構造のシンボル、あるいは踏み絵のように使われた。そしてその構造は、40年経った今も継続している。
◇「教憲」に則した「教団信仰告白」(1954年制定)によって信仰の一致を目指す教団は、歴史における教会の責任として「戦争責任」を告白する。私たちは今対立を超えてこの原点に立ち返りたい。告白の原点は「謝罪」である。大村勇牧師が韓国の長老教会総会に行って謝罪してきた努力、「まず行って兄弟と和解」せよ語った説教、そういう信仰の中からこの「告白」が出てきたことを忘れてはならない。
◇「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。聖書の告げる最大の善は、神が独り子を賜うほどに世を愛され、復活において神の愛が最終的に勝利したことである。そこに最終的な希望を得て、和解のつとめに生きる阿佐ヶ谷教会でありたい。
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