礼拝説教
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2007/8/26 <聖霊降臨節第14主日>礼拝説教

「地上を旅する旅人」          牧師 大村  栄

創世記23:1−20

 


◇アブラハムは妻サラを葬るために、マクペラの洞穴を購入した。生涯で初めて地上に土地を所有したのだ。アブラハムは自らをここに「一時滞在する寄留者です」と述べているが、ヘブライ書では信仰に生きて死んだ人々を「地上ではよそ者であり、仮住まいの者」(11:13、口語訳では「旅人であり、寄留者」)と言い、彼らは「更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望」し、神は彼らのために、「都を準備されていた」(11:16)と語る。

◇天の故郷を目指す人々は地上に所有地を持たなくとも、天により大いなる目標を持ち、そこに帰ることを望み見ている。これは地上の出来事一般への関わり方に影響する。パウロは「世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです」(1コリント7:31)と告げる。過度の執着は謹むべきだろう。

◇しかし「世の事」に無責任でいい訳ではないい。パウロはフィリピ3:20では「しかし、わたしたちの国籍は天にある」(口語訳)とも言う。私たちは天に国籍があり、やがてそこへ帰る。しかし今はそこから遣わされた者として外交官のように地上で精一杯の歩みをなすべきだ。しかしどうにも立ちゆかなくなる時がある。その時に、「しかし、国籍は天にある」を思い出そう。阿佐ヶ谷教会の墓石には、あえて「しかし」から書いてある。今いるところで私たちは「旅人であり、寄留者」だ。だからこそ憂いなくここを立ち去れるように、誠実に生きよう。

◇「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発した」(ヘブライ11:8)。彼が知らなかった「行き先」は地上の領域。そこは先行き見えない所かも知れないが、その先に最後に行くところへの確信はある。それは彼を「召し出」した神の領域だ。そのゴールへの確信があったからこそ、その途中では「行き先も知らずに」踏み出していくことが出来たのだ。

◇私たちもそのような信仰を生きる信仰者されていることを覚えて、感謝と証しの生涯をたどりたい。
(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com