2007/9/2 振起日 礼拝説教
「神からの報酬」 牧師 大村 栄
Ⅱコリント11: 7-15
◇11章はパウロのコリントの信徒への愛の告白から始まる。「2:あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています」。人間的な価値観によってでなく、神に愛されているあなた方だから私も愛すると言う。自分の好みや関心によってでなく、キリストがその人のために死なれたという事実においてその人を尊重する。<あらゆる人の中に、その人のために死なれたキリストを見よ>。
◇聖餐式の式文「これは、わたしたちのために裂かれた主イエス・キリストの体です。あなたのために主がいのちを捨てられたことを憶え、感謝をもってこれを受け、信仰をもって心の内にキリストを味わうべきです」。私のために死んだ主は、私だけでなく「わたしたちのために」死なれた。聖餐式はこの出来事において教会が一つとなる時である。教会がこれ以外の根拠で一致しようとすることは空しい。またこれ以上の一致は世にないことを証ししたい。
◇今日の7-15節はパウロが伝道活動から報酬を得ているかどうかの問題。彼は天幕(テント)作りの業で生計を立てており、伝道からは報酬を得ていない。彼が「9:これからもそうするつもりです」と宣言するのはやせ我慢ではなく、彼が本当に価値を見出すことのできる報酬は金銭ではないからだ。
◇パウロには何らかの持病があったらしい。「それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(12:7-9)。
◇「サタンの使い」と呼ぶほどの強烈な試練にも臆することなく立ち向かえる状態。これこそがパウロにとって、自分に与えられた最高の報酬だ。最大の試練である死の問題にも、十字架と復活の主によって勝利することができる。これこそが信仰によって私たちに与えられる「神からの報酬」なのである。
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