2007/9/23 礼拝説教
「豊かさへの警告」 牧師 大村 栄
アモス書 8: 1-14
◇紀元前8世紀の中頃、北王国イスラエルはヤロブアム二世の長期政権のもと、繁栄と同時に深刻な宗教的堕落にあった。やがて721年にアッシリアの攻撃を受けてこの国は滅亡する。そんな崩壊直前の時代に召命を受けた預言者アモスは、「一籠の夏の果物」の幻を見させられる。熟して腐りそうな果物はこの時代の爛熟したイスラエルの状態を示す。
◇第二の段落はあくどい商人たちの姿を例にして、この国の道徳的、宗教的腐敗を指摘する。アモスやホセア、イザヤ、ミカなどこの時代の預言者たちは聖書の神ヤーウェは倫理的な神であり、正義を求める神であると告げ、宗教史に新しい発展を与えた。
◇7章にはその他三つの幻が記される。第一と第二の幻の際にアモスは、「主なる神よ、どうぞ赦してください」、「どうぞやめてください」と、必死に取り成しの祈りをする。繰り返し「彼(イスラエル)は小さいものです」と言って神の裁きを免れようとする。アモスの執り成しに応えて「主はこれを思い直され」、二度までは免除して下さる。しかし三度四度と幻によって裁きが預言されるにつれてアモスも沈黙し、やがて神の審判が決定的なものとなる。
◇最も恐ろしい裁きは、「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと乾き」(11節)である。食物が乏しくてもそれは肉体を殺すだけだが、主の言葉が乏しくなると魂が滅びてしまう。その乏しさがどんなに悲劇的であるかを知らずに、ひたすら物質的なものを追い求めるこの世界である。やがて「その日が来ると」(9節)終わりが訪れる。現代と似たその時代に、アモスは神の忍耐の限界に立っていた。神の忍耐を支える堤防が決壊した時に「その日」が訪れる。
◇しかしもはや民を亡ぼすことを望まれなかった神は、最後の手段として独り子を差し出し、堤防の破れ口にキリストを詰め込むことよって決壊を防いで下さった。そして神の言葉の飢饉は回避された。しかしその十字架の出来事を忘れて生きるなら、私たちは自ら滅びの淵におちいるであろう。私たちも預言者アモスと同じように緊張を感じ、世界と隣人のために取りなしの使命に生きるものでありたい。
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